東京地方裁判所 昭和35年(ヨ)2173号 判決 1967年10月13日
申請人
松田武蔵
他五名
右六名代理人
佐伯静治
他六名
被申請人
日本鋼管株式会社
右代表者
赤坂武
右代理人
孫田秀春
他三名
主文
申請人石井、同山下、同渡辺及び同阿部が被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位をそれぞれ仮に定める。
申請人松田及び同中村の申請を却下する。
申請費用は申請人松田及び同中村と被申請人との間に生じた分を右申請人らの負担とし、その余を被申請人の負担とする。
事 実≪省略≫
理由
一申請人らが、それぞれ、その主張の日工員として会社に雇われて、その事業の一たる川崎製鉄所に勤務ないし在籍し、後記解雇当時、その所属職場、資格または職種が、その主張のとおりであつたこと(編注、松田は職員、阿部は浴場番、その他は工員)、申請人らが、いずれも川崎製鉄所の従業員で組織する組合に所属すること、会社が昭和三五年一二月一七日付をもつて申請人松田、同中村、同石井、同山下及び同渡辺に対し懲戒解雇する旨の、申請人阿部に対し諭旨解雇(懲戒の一種)する旨の意思表示をしたこと、会社と組合との間に当時効力を有した労働協約(昭和三五年一一月一日締結。昭和二九年一月以降、右協約締結まで施行されていた労働協約にも全く同文の規定があつた。)三八条及び会社川崎製鉄所の就業規則九七条従業員に対する懲戒解雇または諭旨解雇の事由として「不名誉な行為をして会社の体面を著しく汚したとき」(各一一号)と定められていること、そして申請人らに対する右解雇の理由が昭和三五年六月一〇日のいわゆるハガチー事件における申請人らの行動をもつて右懲戒規定に該当するというにあつたことは当事者間に争いがない。
二そこで、右懲戒解雇及び諭旨解雇の当否につき判断する。
(一) 総評、社会党、学生団体等により安保条約の改定阻止の目的をもつて、組織された国民会議が、その統一行動の一環として米国大統領来日反対の意思を表明するため東京国際空港(東京都大田区羽田所在)周辺で同大統領秘書ジェームス・シー・ハガチーに対する示威行動(デモ)を行うことを計画し、申請人らを含む鋼管川鉄労組の組合員が右計画にしたがつて、右行動に参加するため書記長の申請人松田を統制責任者として昭和三五年六月一〇日同空港に赴いたこと、ハガチー秘書及び駐日米国特命全権大使ダグラス・マッカーサー二世ほか二名を乗せたハガチー車が同日午後三時四二分頃空港ターミナル・ビルから弁天橋の方向に進行した後、同空港人口にあたる弁天橋東詰検問所附近で停車し、その周辺で混乱が生じたが、そのうちハガチー秘書らがヘリコプターで同所から飛び去つたことは当事者間に争いがない<証拠によれば>次の事実が一応認められ、その疎明を動かすに足る立証資料はない。
右示威行動に参加した各種団体のうち、申請人ら鋼管川鉄労組員その他神奈川県下の労組員等からなる神奈川隊は同日午後三時三五分頃右検問所から南方の空港施設に通じる舗装道路が地下に入るまでの路上南側に、ほぼ横隊に並んで待機していたところ、同地点に向つてハガチー車が他の乗用車とともに一列になつて進行して来たので、いく分、路上にせり出して、その到来を待受けた。そこに右車列の先頭が到着した頃、神奈川隊の隊伍から二、三本の赤旗が振り降され、右車列の速度が落ちるや、附近にいたデモ隊員数十名が、これに向つて喚声を挙げて押し寄せたので、ハガチー車は右デモ隊員と対向車の存在のため進路を塞がれる形となつて、遂に同地点に停車を余儀なくされた。申請人阿部、同石井及び同渡辺は右デモ隊員とともに、ハガチー車に、その左側から接近して口ぐちに「わあー、わあー」、「わつしよい、わつしよい」、「ハガチー、ゴーホーム」などと叫び、申請人阿部及び同渡辺はハガチー車の前部、左側の下方に手をかけて、その車体を激しくゆさぶつて、その車内のハガチー秘書らに暴行を加え、また、申請人石井は両手に持つた英文プラカードを上下させて車内に示しながら、これで車体を叩いた。とこうするうち、その他のデモ隊員が、その場に殺到、合流し、ハガチー車の車体をプラカード、旗竿の類で激しく乱打し、左右から手でゆさぶり、また同車に向けて投石し、さらには、その車体前部左右に立てられた旗竿を折損し、また、右後尾灯を破壊した、このようにして、ハガチー秘書一行は多衆の威力にさらされるとともに、多数の共同による暴行を受け、またハガチー車は右後尾灯等を損壊された。申請人松田、同中村及び同山下は、いずれも、その附近にいて、デモ隊のこのような混乱を見るや、右状態を統制ある抗議行動に移そうと決意し、口ぐちに「さがれ、さがれ」、「寄るな」など叫んで、ハガチー車周辺のデモ隊員の制止に努めたが、容易に混乱が鎮まらなかつたので、右デモ隊員にスクラムを組ませるか、坐り込ませるかして事態を収束し、同時に国民会議現地指導部等よりの指示を待つ間、ハガチー秘書一行を車内に閉じ込めたまま、その進行を阻止するにしかずと判断し、暗黙のうちに互に意思を共通にし、申請人松田は「坐れ、坐れ」などと叫びながらハガチー車の天蓋に登つて坐り込みを指示し、申請人中村はこれに続いて同車の天蓋に登り、笛を吹き、動作で示すなどして、スクラムを指示し、申請人山下は同車の周囲を移動しながら、手を振り、肘を張るなどして、スクラムまたは坐り込みを大声で指示した。そこで周辺にいた申請人阿部、同石井及び同渡辺を含むデモ隊員は右指示にしたがい、それぞれハガチー車の周辺に坐り込み、スクラムを組むなどして同車の包囲に加わつた。かくして、申請人らは互に、また多数デモ隊員とも共謀し、かつ共同して午後四時一五分頃警察官がハガチー車に取付いて、ハガチー秘書一行の防護態勢を整えるまで、ハガチー秘書らを車内に閉じ込めて不法に監禁し、午後四時五〇分頃ハガチー秘書らがヘリコプターで同所から救出されるまで、ハガチー車の運転手の自動車運行業務を威力を用いて妨害した。
そして、検察当局がハガチー事件を外国政府代表に対する悪質な集団暴行事件として厳しく責任を追及する方針を固め同月一三日申請人山下を、同月一七日申請人松田及び同中村を、同月二八日申請人石井、同阿部及び同渡辺を順次逮捕したうえ、同年七月五日申請人山下を、同月九日申請人松田、同中村及び同阿部を、同月一九日申請人石井及び同渡辺を順次東京地方裁判所に起訴したこと、またハガチー事件が発生するや、即日テレビ、ラジオ、新聞等を通じて全世界に報道され、わが国の主要新聞がデモ隊員の暴挙を強く非難する趣旨の被申請人主張の前掲記事を載せたこと、ハガチー事件に関する捜査及び申請人らの逮捕、起訴の事実が、そのつど主要新聞紙に被申請人主張の前掲記事となつて報道されたことは当事者間に争いがなく、当庁が昭和四〇年四月二七日申請人らのハガチー事件における行動を暴力行為等処罰に関する法律違反等の罪に問擬し、申請人阿部、同石井、同山下及び同渡辺に対し各懲役一年、申請人中村及び同松田に対し各懲役一年二月(ただしいずれも三年間執行猶予)の有罪判決を言渡したことは当裁判所に顕著である。
(二) ひるがえつて、前記就業規則九七条(労働協約三八条)一一号の趣旨を考えてみると、
1 使用者が従業員に対し解雇その他の懲戒処分を課するのは、これによつて企業の規律を維持する必要があるため使用者に残された指揮命令権を根拠として是認されると解されるとともに、労働者の企業との関係は、ただ労働契約に基き労働力を提供する地位にあるだけであるから、使用者の懲戒権は本来、就労に関する規律と関係のない従業員の私生活上の言動に及び得るものではない。もつとも、従業員は労働契約関係に伴う信義則の要請により、私生活上においても企業の信用を損い、また利益を害するような言動を慎しむべき忠実義務があると解されるから、従業員の私的言動といえども、それが右のような忠実義務に違反し企業の運営に悪影響を及ぼし、また及ぼす虞がある場合には、その限りにおいて、懲戒権が及び得るであろう。しかし、その場合でも、右言動が本来、企業の規律から自由な私的生活の領域で生じたものである以上、これに対する懲戒権の行使については、自ら限度があるべきであるから、就業規則または労働協約の定める懲戒条項の趣旨についても、さような見地に立つて合理的に解釈しなければならない。
そして、<証拠>によれば、現に右就業規則及び労働協約(両者の懲戒に関する条項は全く同文である。)は懲戒区分として懲戒解雇、諭旨解雇のほか、出勤停止、減給、譴責の五種を設け(規則九四条、協約三五条)、右各種の懲戒につき、それぞれ懲戒事由(合計二八の事由)を列挙しているが(規則九五条一ないし二三号、九七条一ないし四号、協約三六条一ないし二三号、三七条一ないし四号)、そのうち「不名誉な行為をして会社の体面を著しく汚したとき」(規則九五条及び協約三六条の各一一号)、「暴行、脅迫、傷害、侮辱などして同僚などに迷惑をかけたとき」(規則九五条及び協約三六条の各一〇号)、「(社品または)他人の私有物を盗んだとき」(規則九七条及び協約三八条の各五号)とあるのを除く、その他の懲戒事由は、すべて従業員の就労に即した規律違反ないし勤務懈怠、企業の財産ないし人的組織に対する直接侵害、事業所内における非行等、企業活動の領域内における行為であつて、その性質上明らかに企業の利益を害し、または害する虞があるとみられるものを対象とし、また、例えば、事業所内での賭博(規則九五条及び協約三六条の各五号)、会社財産の横領(同九号)、事業所の設備備品等の毀損(規則九七条及び協約三八条の各四号)、背任行為(同九号)など、刑法上の犯罪を構成する非行についても、企業の規律、利益を直接害する場合に限定していることが認められる。
2 したがつて、就業規則九七条(労働協約三八条)一一号が懲戒解雇または諭旨解雇の事由として定めた「不名誉な行為をして会社の体面を著しく汚したとき」というのもまた、会社の従業員が社会的に不名誉と目さるべき非行を犯し、これによつて客観的にみても企業の秩序ないし規律の維持と相容れない程度において会社の体面、すなわち企業としての社会的信用ないし名誉を現実に著しく傷つけ、その結果、社会通念上、使用者たる会社に当該従業員との雇傭関係の継続を期待するのが困難な事態を生じさせた場合を意味し、従業員の私生活上の不名誉な行為は、その限りにおいてだけ右懲戒規定に該当することがあるにすぎないものと解するのが相当であつて、これと相容れない被申請人の見解は採用しない。
(三) しかるに、申請人らのハガチー事件における前記行動は、これにより申請人らに暴力行為等処罰に関する法律違反等として刑事罰が加えられ、もちろん社会的非難を免れ得ないものとはいえ、その目的、動機並びに侵害法益に徴すると、直ちに会社の企業秩序ないし規律の維持と相容れない性質のものとは解し難い。また、原告らの行為自体もしくは、これが会社の従業員の行動として報道されたことにより、会社がその企業体としての社会的信用または名誉を現実に著しく害されたことを認むべき疎明はない。
もつとも、
1 <証拠>によれば、会社は昭和三五年初頭から、その株式を米国内の取引市場で売却して資金を調達しようとして関係方面と種々折衝し、同年内の実現を期していたが、ハガチー事件により右市場に悪材料が生じたので、商議を断念したことが、
2 <証拠>によれば、会社は当時建設途上にあつた水江製鉄所の設備資金として、かねて世界銀行に対し第三次借款(八〇億円弱)を申入れ、同年七月には、これが調印の運びになるものと予側していたところ、ハガチー事件が従業員の関与によつて発生したので、これが右借款実現に悪影響を及ぼすのをおそれて、同年六月一四日社長名により同銀行貸付審査部理事あて謝罪文を送つたが、これに対して、なんらの応答もなく、また、その頃国内の大手製鉄会社二社の世界銀行からの借款が実現しなかつたため、会社に対する借款の実現も不可能になつたものと判断して同年八月頃世界銀行に対し、借款申入の撤回を通告したことが、
3 <証拠>によれば、会社は、かねてから米国のエイ・エム・バイヤーズ社と同社開発のアストン式錬鉄製造法に関する技術提携及び会社製品の同社の販売網による販売につき契約を締結すべく交渉していたが、ハガチー事件発生後、同社から同事件の成行を見とどけるまで右契約の締結を見合わせる旨の申出を受けたので、その後右交渉を中止したことが、
4<証拠>によれば、会社は、かねてから米国テキサス州所在アトラス・パイプ社に対し会社製品の油送管を毎月約一〇〇〇トン当て売却していたが、ハガチー事件後、その販売量が概ね半減したことが
それぞれ一応認められる。
しかしながら、<証拠>によれば、ハガチー事件直後から、米国各地では日本商品(会社のそれではない。)の不買運動が起き、当時既に成立していた商談ないし売買契約が破棄され(その数量は、さほど多きに上つたわけではない。)、また日本の公債の市場価格が暴落する等の事態が生じたが、在米日本商社筋の見方を籍りれば、ハガチー事件の右のような経済的余波は、かねてから存した日貨排斥の気運の延長ないし一国の政情が経済取引に反映するという一般的要因によるものとみられたことが一応認められるとともに、当時、わが国の政局が特に対米関係を軸として安定を欠いたこと、すなわち安保条約改定の是非をめぐつて保守、革新両陣営が激しく対立し、これがハガチー事件に象徴的に現われたので、岸首相が安保条約批准書の交換を了して、その効力の生じた同年六月二三日辞意を表明し同年七月一五日閣僚とともに総辞職し、次で、その後継首班に指名された池田首相が同年一〇月二四日衆議院を解散しその議員の総選挙が同年一一月二〇日行われたことは公知の事実である。したがつて、これらの事実を考え併せると、会社について生じた前記の事態は、なるほど現象的にはハガチー事件の発生を機縁とするものであつたことを否定し得ないけれども、それよりも米国の経済界がハガチー事件及びその後の政局変転に現われた、わが国の政治情勢に鋭敏に反応したことを主因とするものであつたと認めるのが相当であつて、右事態がハガチー事件における申請人ら会社従業員の行動に起因したとみるのは当らない。
以上の次第で、会社が申請人らに対する懲戒解雇及び諭旨解雇の理由とした事実は、前記労働協約三八条及び就業規則九七条の各一一号の定める懲戒事由に該当するとはいえないから、右各解雇の意思表示は、懲戒規定の適用を誤つたものというべきであつて、無効である。
三したがつて、申請人らと会社との間には依然として雇傭契約が存続し、申請人らは会社に対し右契約に基く権利を有するものといわなければならない。
ところが、会社が昭和三五年一二月一七日以降申請人らを従業員として処遇していないことは当事者間に争がなく、申請人らが会社から支給される賃金だけで生活していたものであることは弁論の全趣旨により明らかである。
もつとも、申請人石井、同山下、同渡辺及び同阿部が前記解雇後、それぞれ組合から解雇前三ケ月の平均賃金相当額の支払を受けていることは争いがないが、<証拠>によれば、右申請人らが組合からさような金銭を支給されているのは、例えば組合員が会社から不当解雇され、裁判所において係争中のような場合、その生活の困難を緩和するために設けられた組合規約上の犠牲者救援規程に基き勝訴の暁には返還する約束のもとに組合員として応急措置を受けているにすぎないものであることが一応認められる。したがつて、右申請人らの生活困窮は今のところ組合によつて救済されているとはいえ、遡つて考えれば、右生活困窮は会社の賃金支給停止に起因するものであるから、これを避けるためにはむしろ右申請人らの会社に対する従業員たる地位を保全し、その賃金支給につき会社の任意の履行を期待するのが相当である。なお、これについては右申請人らに保証を立てさせないのが相当である。
次に、申請人松田及び同中村が、いずれも組合の執行委員として組合業務に専従し、会社から支給されていた給与相当額に執行委員手当四、〇〇〇円を併せて組合から支給され、また、その組合活動についても会社から解雇前とほぼ同様の取扱を受けていることは当事者間に争がなく、<証拠>によれば、右申請人らが組合からさような金銭を支給されているのは、右申請人らが組合の推薦により、その上部団体の専従役員(任期一年)に選出され、引続いて右役員に在任していることによるものであることが一応認められ、右事実によれば、右申請人らは現在、労働組合の業務に専従することの対価によつて経済的に安定した生活をし、組合活動上にも、なんら支障がないものというべきであるから、右申請人らの会社に対する従業員たる地位を保全する必要を認め難く、さりとて右申請人らに保証をたてさせて地位保全の処分をするのも相当ではない(労働組合の専従役職を解かれるなどして地位保全の必要が生じた場合には、改めて、その旨の仮処分命令を求めれば足る)。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。(駒田駿太郎 高山晨 田中康久)